コーディネーター日記
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三百字の遺言 平成9年7月発行

平成9年7月に発行した「三百字の遺言」からの抜粋です。

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  • 6〜10
  • 11〜15
  • 16〜20
  • 21〜26

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    思いがつまった登録カード。   時には死について深刻に悩み、時には全く忘れて生を楽しむ。その波間にあって、死後に期待するものを伝えるのが遺言であろうが、今まで、ふと思うことがあっても、特に真剣に考えたことがない。アイバンク運動を推進した立場もあり、眼科医ということもあって、妻の了解を求めはしたが、何のこだわりもなく角膜の登録をした。登録カードは常に所持している。この上は、私の意思がその通りに実行されることを望むだけである。 富山県外の男性より。 注釈 この方は、他県のアイバンクの理事長でした。2007年、ご逝去にともない、ご献眼されました。

    生き続ける私。   八十歳の坂を越えて、さて今まで何をやってきたか、何を遺していけるか、と考えると大したことはないな、と恥じ入るばかり。幸い献眼登録を十四年前に済ましている。二人の方に生かしていただけると思うとホッと安堵する。
 願わくは、一眼は男性のかたに、もう一つは女性のかたに使ってほしい。もっと女性を見極めてみたい、女性の側から男性を見直してほしいと思うからである。贅沢な希望かなと首を傾げながら、もって遺言状とする。
 献眼は、人生最後の、最高の御布施。 高岡市の男性より。 注釈 この方は、富山県アイバンクの元理事長でした。2013年、98歳の生涯を閉じられ、ご献眼されました。偶然にも、ご希望のとおり、男性女性にそれぞれ移植が行われました。

    夫婦の会話。   文章の校正を妻にしてもらうことにした。それは、画伯、東山魁夷著、日本の美をもとめて、を点訳したものである。暫くすると、彼女は憤慨して赤鉛筆を放り投げた。妻の行為の意味するものが解けた。それは、豊かな色彩や風景をモチーフにした本は、視覚障害者には理解困難であり、点訳本の選択を非難した訳である。しかし、障害者から以前に聞いた言葉、桜が咲けばその美しさが解ります、の記憶があり、反論を驟雨のように浴びせた。 願わくは、私の献眼で障害者の視力が回復したならば、本に書かれている美しい風景を実感してもらうことである。障害者は、私の眷属となり、光を得た時に想像を超えた美を認識するか、それとも日本の美に落胆するかが私には興味深い。 妻は、献眼・献腎はいいけれど献体は駄目よ、と強い口調で言い、納得の表情を見せた。そのあと彼女は、女は縋って泣くものが必要なの、と揶揄の台詞、莞爾として笑う顔からの問いかけに私は戸惑う……。 高岡市の男性より。 注釈 この方の奥様は、点訳ボランティアです。

    遺言、最後の社会奉仕。   今年で72歳になったのに、未だ若い気持ちで50歳代のように思い、死をいうものを考えた事が無い。ただし、毎日の新聞を見る時に一番最初に見るのは、死亡案内欄。知った人が載っていると、ああ、あの人と俺とはいくらも年齢の差がないとなると、俺もいつかは此のように新聞に出る日が必ず来る。その時の準備に先ず、人に迷惑をかけないように、個人、会社の借金の返済等を考えておかねばならぬ。家族や会社にはなる丈負担がかからないように、平生より計画を立てて、いつも頭の中に賃借対照表を置いて考えて経営を行っている。
 それと大事なのは、二つの瞼が閉じたならば、富山医科薬科大学へ、親爺は献眼登録をしてあるから移植をお願いします、と連絡して欲しい。日本では角膜移植を一日千秋の思いで待っている人が五千人以上いるのが現状である。
 眼球摘出は少しは可哀想と思うかも知れんが、二つの眼球が二人の人の役に立つならば幸せだ。此れが俺の最後の社会奉仕だ。気にかける事はないから速やかに連絡を頼む。此れが俺の遺言です。 富山市の男性より。 注釈 寄稿当時は、連絡先がアイバンクではなく、富山大学医科薬科大学附属病院、現、富山大学附属病院でした。

    最愛なる妻子へ。   朝、目をさますと時計を見る。天候の様子を目で知る。そして、新聞を見ながら台所のお母さん、寝ぼけまなこで起きてくる君たちと挨拶をかわす。今日は雪が深いから早目に出ないと遅刻する、髪の毛が乱れている、服に糸屑がついているなど、毎日の自然の会話ができる我々もいれば、同じ土地に住み同じ言葉を話す人達の中には、物にふれるか、音で感じることでしか確認できない方達が大勢いることも忘れないでほしい。
 私のライオンズマンとしての最後の奉仕活動は、君達家族の協力がなければ実現しない。天命が尽きた時には、角膜移植するべくアイバンクへ連絡してほしい。私の角膜が他の人の光明となり再生できることは、私の無常の喜びと思ってほしい。最愛なる妻子へ。父。  高岡市の男性より。

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    生き続ける私。   阪神・淡路大震災を契機に、無償のボランティア活動が全国的に盛り上がった。廃墟と化した神戸へかけつけた支援者の中に、茶髪の若者達が多いことをテレビで知ったとき、言いようのない感動に打たれた。困って苦しんでいる人達の役に立ちたいとの思いは、老若男女を問わずに誰の心にも宿っていることを、この若者達は自らの行為で示してくれたのである。献眼運動も、広い意味でのボランティアである。
 私が13年前に献眼登録したのは、眼の不自由な方の杖がわりになれたら、という純朴な気持ちからだった。人間は情報の80%を眼から収集していると言われている。それだけに光を失った人々の無念さは察するに余りある。献眼の輪をいかに広げていくか、これがアイバンク理事の一人として、私に与えられた課題だと自分に言い聞かせている。 小杉町の男性より。

    遺言のこと。   突如死が私を襲ったら、(まだまだ懸命に働かなくてはいけない使命感?本当は未だ若いのだと信じていたいからなんだが)もがいてもがいて死にたくないと叫んでいたのですから、せめて生きのよい人に眼をあげて下さい。若い女性がよいですね。
 今だから言うんだが、惚れっぽい私にはアレヤコレヤとあったんだよなあ。そりゃ彼女の一挙手一投足に悩ませられることもあったが、あの眼の表情にどれだけ悩んだものやら。(未亡人になったオマエに言っておくが、今更ヤキモチは止めにしようや。もはや処置なしやないか)
 あの眼になりたい。あの眼になって、世の男性諸君を悩ませてやる。私が苦しんだ十分の一?ほどの苦しみを与えてザマァミロと言ってやるんだ。どうも品格が疑われそうな言葉になったが、死んじゃったんだから仕様がないじゃないか。
 もし悠々自適して残りの人生を楽しく暮らす状況であったなら、これはまた在り方をかえることとしよう。若い男性に挙げて下さい。
 この眼は、相当苦労してきたのだから、チョット位の美女の流し目にはびくともしない……筈だ。苦しみも後には楽しみとなり、その逆も又ありの男女の関係を充分に味わい見たいのだ。本当はイバれる程にモテた訳じゃないのだから(悔しいがヤキモチ焼かれる資格なしか)今生で報われなかった青春を、もう一度若い人の中から眺めたい。情けないがこちらのほうが本音だな。
 以上書き残すによって、充分の配慮をお願い致します。あなた達も過去をふり返って未来への遺産の在り方を考えて下さい。 高岡市の男性より。

    21世紀を。   財団法人富山県アイバンクの設立の準備の時からお手伝いをし、今日に至っております。クラブのEBK委員長を長い間務めた関係でドラキュラの某といわれ、何とか数字だけが上がるよう努力してきました。
 献眼についても、献血同様、全クラブ員を挙げて協力し、県下では登録数でトップ的な存在であると思う。その甲斐あってか、当地区では献眼提供者もぼちぼちといったところだ。
 私自身も、昭和60年8月に登録を終え、家族の協力さえあれば、何時でも献眼の提供が出来る状態である。提供に当たり、でき得れば、10代から20代の若い人に提供され、二十一世紀をずーっと見続けていたいものだ。魚津市の男性より。 注釈 EBKとは、ライオンズクラブでの活動委員会名で、EYE、献眼、Blood、献血、Kidney、献腎、の頭文字をとっています。現在はこの3つに、骨髄提供を加えた、四献委員会が運営されています。

    一緒に世の行く末も見たい。   私は、齢19歳の時、戦の場において命日を迎えていた筈なのに、不思議と命永らえて、80歳に近い。いま静かに顧みたとき、身に余る特異な感激と感動を体験できた、大変幸せな一生であったとつくづく思って居ります。これも偏えに、良い家庭に恵まれ、また社会における数多くの皆様のおかげであると、心から感謝いたしており、本当にありがとうございましたと、お礼を申し上げます。
 縁ありて、ライオンズクラブに入会、アイバンクのお世話をさせていただいているうち、崇高なる献眼された方々、或いはスリランカ初代大統領が日本の恩に報いるに一眼を日本に、また一眼を自国の眼の見えない人に献眼されていることに極めて深い感銘を抱いております。
 私もこの無限に受けた社会のご恩に、些かなりとも報いるため献眼を決意しており、願わくはお受けされた方と一緒に、世の行く末も見たいを思っております。改めてご厚情を賜った多くの皆様、本当にありがとうございました。 小杉町の男性より。 注釈 文中の、スリランカの元大統領、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏は、1951年のサンフランシスコ講和会議にて、日本の掲げた理想に、独立を望むアジアの人々が、共感を覚えたことを忘れないでほしい、と演説し、憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む、というブッダの言葉を引用して、日本に対する賠償請求の放棄を表明した方です。このおかげで、日本の国際社会への復帰の道が開かれました。1996年11月1日、ご逝去に際し、ご献眼され、右目はスリランカ人に、左目は日本人に、という遺言の通り、スリランカと日本で、それぞれ移植が行われました。

    良心忘れた社会を。   収賄、贈賄で賑わう政・官・財界の面々、バブルで踊った左前銀行の安易な後始末、命を喰い物にした医薬業界、孫・子に負わせる国家の借金、職業の良心を忘れた今の世間を嘆いてみたものの、お前は何をしてきたか、と問われると返事ができない。
 私が角膜提供できる日はいつかわからないが、せめて良心が通用する社会になっていてほしい。物が見えるのと一緒に、温かさも見える世間になってほしい。せめて私が死ぬまで、今よりも心が温まる社会にしなくちゃ。そして、良い社会を感じてもらえる中で角膜を使ってほしい。 高岡市の男性より。

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    葬儀は質素に。   五十代半ばまで人間をやってきて、振り返ってみれば無為徒食、何一つ社会に貢献する事なく、なんと無駄な人生であったことか。だから一つぐらい役に立って死にたいを思う。どうせ灰になってしまうこの身体、使えるものは何でも役立ててほしい。特に眼は二人の人が光を取り戻せます。
 一つだけわがままを言わせてもらうなら、なるべく若い人にあげて欲しいと思う。何故なら少しでも長い間この世を見つめていたいから、と言いたいところですが、勝手は申しません。どなたに差し上げてもかまいません。私が死んだら、葬儀は質素にしてでも、これだけは必ず実行してほしい。くれぐれもよろしくお頼みします。 氷見市の男性より。

    勿体ない。   両親から健康な体をあたえてもらい、今頃になって、その恩恵しみじみと感謝している一方、私は馬車馬のように、好きなこと、嫌いなことを含めて、走り廻って今日迄生きてきたというのが実感である。きっと、ゆとりというものがないまま一生を終わると思う。でも、あの人、未だ生きていたのかしら?、と言われるまで、生きる必要を感じていないのも本当である。
 私の願いは、いさぎよく、さっさと死にたい。残すものは何もないから、健康であり、役目を充分にこなしてくれた私の眼を、何方かに役立てていただきたいというのが、せめてもの思いである。灰にするのは勿体ない!たくさんの眼の不自由な方々が待っているのだから。  富山市の女性より。

    おまえにエールを送る。    共に歩み続けて半世紀、その間おまえは私に親を教えてくれた。妻を見つけてくれた。子を映し出してくれた。私に光溢れる人生をもたらしてくれたおまえに本当に感謝している。
 いつの日か私は寿命を全うしても、私と一緒につき合う必要はない。おまえは次の人生が待っているのだから。私がみつめることのできなかった時代を、私に代わって生きて欲しい。おまえが次世代を担う者の良きパートナーとして活躍してくれるのなら、私も安らかに眠り続けられるであろう。おまえの第二の人生にエールを送る。   福光町の男性より。

    私の角膜をさしあげます。   私の五年生と三年生の孫娘たちと一緒にテレビをみていましたら、井村アイバンク理事長のヒゲのおじさんのコマーシャルが放映されていて、その時アイバンクの話をしました。「もし、おじいちゃんが亡くなったら目のみえない人に角膜をあげることにしているのだよ。それでおじいちゃんの眼が義眼であったら気味が悪いかな?」とたずねると、「そうね」と言う。「だけど、世の中に目の不自由な人がおられて、おじいちゃんの角膜をもらってその人の目がみえるようになるんだったら、あげてもいいね。どう思う?」と孫娘たちと話し合っていましたら、「いいんじゃないの」と言ってくれましたので、私の決心が一段と強くついたように思いました。
 私の角膜をさしあげます。  福野町の男性より。  注釈 発刊当時アイバンク理事長であった、井村東司三氏の献眼啓発のCMが放送されていました。

    生き続ける二つの眼。   今年も元旦に神社参りを済ませ、家族揃って朝食につくと、一年生になる孫娘から「おじいちゃん、もう赤どうげん、いつ着るの」とふと言われ、自分の年を感じた。もう六十歳に近い。
 自分が八歳のとき、父親は四人の男の兄弟を残して戦死した。終戦後たいへん苦しい生活が続き、サラリーマン、独立と四十年余りの多難の道を歩んできた。娘三人、孫が三人、皆様のお陰で何とか順調にきたことに感謝している。縁あってライオンズクラブに入会させていただいて十三年余り、少しでも何かに奉仕をとアイバンクに献眼を登録、家族は知らないと思います。今まで生き続けてこられたのもこの二つの眼のお陰であると感謝しているだけに、眼を求めておられる方に喜んで差し上げ、末長くこの眼を輝かせていただきたいと思います。
 妻、子供達に自分の人生の最後の献眼を財産遺言にすることを望みます。  福野町の男性より。  注釈 この方は、1999年ご逝去にともない、ご献眼いただきました。

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    生きる喜び。   このたび、カンボジア(アンコールワット)観光ツアーに参加する機会があり、ベトナムからカンボジアへの渡航の機内で、九州のある檀家のツアーの一人の老婦人(76歳)の隣席になったので、手荷物等の世話をしてあげたところ、お礼の言葉から話が弾んで説教をされました。
 その説教の中味は、僕等は元気に楽しく観光ツアーに行くが、老婦人達のツアーは、戦前日本軍がカンボジア迄進行し、その犠牲になった人達のお墓参り(供養の品々を持参)に毎年参加されているとの事で、我々に生きる喜びと有難さを教え、人類の何国の人々であろうと、戦争、その他病気等で尊い生命をなくさないように、何等かの形で社会に奉仕する事が、人間としての義務であることを教えてられ、身の引き締まる思いをしました。
 私も十数年前に献眼登録を済ませていますが、今改めてその重要性を認識し、多少なりとも社会に奉仕する事を誓い、ライオンズマンとしての活動を続行したいと思います。  福野町の男性より。

    ご臨終です。   「ご臨終です」。その通告に伴い、直ちに私が献眼登録者である旨を、その医師に必ず伝えてもらいたい。妻よ、息子よ、娘よ、怖がらずに、いやがらずに……。父さんからの死後、最初で最後のお願いです。
 角膜が摘出され、誰に移植されるのか私には知らされないが、受けた人が新しく、明るい光を見ることができるのです。「因果応報」の社会です。その明るい光が君達にも注がれることだろう。お願いです。父さんの「心」と「角膜」の提供が今までにできなかった最大の奉仕になるかもしれないから。   合掌
追伸 しかし、その角膜が曇っていたら温かい息をそっと吹きかけて下さい。   高岡市男性

    善意。   誕生まもなく黄疸がひどく、ほうっておくと脳性小児マヒになるところ、友人等の善意のおかげで一命をとりとめた娘も今年二十歳を迎え、私にはひとしお感慨深い成人式であった。いつのまにか初老もすぎ、善意にあまえ、社会に何か還元してきたか、後悔ばかりが残る。
 幸い六年前に献眼登録だけは済ませているが、できれば角膜を二十一世紀を担い若き男女に差し上げたい。その眼で二十一世紀の世界を見ていただきたい。角膜移植で開眼可能な方は三万人と聞く。この三万人の角膜移植のため、約二百万人の献眼登録が必要といわれている。一人でも多くの方に献眼登録をお願いしたい。  高岡市の男性より。

    子供達へ。   昨年、お母さんは献眼登録をしました。今の気持ちをタイムカプセルに詰め込んであなたたちに贈ります。
 夕日に赤く染まった美しい立山連邦を見ながら、あなたたちと『夕やけ小やけ』をよく歌います。「お母さん、お山きれいだね」「そうね」。そんな何気ない会話がとても楽しく思える毎日。アイバンクのポスターにある「空が見たい。海が見たい。山が見たい。お花が見たい。ゾウさんが見たい。きかんしゃが見たい。おかあさんが見たい」というコピーは胸を打つものがありました。できることなら、目の不自由な子供たちの思いをかなえてあげたいものです。
 娘三歳、息子一歳。今はまだあなたたちと一緒に毎日を過ごして、楽しい思い出とステキな夢の材料をいっぱいプレゼントしたいと思っています。  大山町の女性より。  注釈 文中のコピーは、平成8年度アイバンク普及啓発ポスターに掲載されました。富山県アイバンクだより第4号の表紙にもなっています。

    遺言を書く理由?   最近は遺言を書く人が多くなったという。二十一世紀への遺言とか、四百字の遺言とか、第三者に読んでもらう本まで出版されている。その中身は、事業後継者への遺言(会社の理念・方針・展望)、家族への遺言(自分の生き方・考え方・言い残すこと・死後の処置)、次時代へ伝えたい歴史体験に分かれるように思われる。遺言はあとを託された人が困らないように自分の意思と生き方そのものを明記することで、自分の意思を生き方が定まらないとかけないことか?自分は意思と生き方が定まっているのだろうか?逆もまた真なりと信じて、自分に遺言が書けたら、意思と生き方の定まった大人になっていると自己判断することにしたい。
 ということで、自分なら最後にどんなことを書き残すか、少し考えてみました。
 私は、公認会計士として監査法人に勤務している間に、何人かの先生の死に立ち会いました。後継者の決まっておられる先生の場合には、大部分、ようやく重石が取れて自由に才能を発揮できる日を迎えた二代目の前途を祝福する気持ちの方が大きく、大往生の満足感を感じました。しかし、無念に感じたのは、ご遺族に大先生の業績や仕事の価値を理解できる人が不在で、残された文献、資料、書籍の価値も分からず、ごみに出すよりも欲しいものがあったら持っていって欲しいと引取りを求められた時でした。本を読める子供を育てなければ、万巻の書籍を集めても塵に等しく、マルチメディア機器を扱える子供を育てなければ、CDやパソコンソフトを集めても芥の山にしか見えないという厳しい現実です。
 現在のわが家の状態も、まさにその状態です。私の側でアシスタントをしておれば、人生五十年の修羅場を潜り抜けて生き残ってきた私のすべて、会計・経営・税制・金融・経済・歴史観のエキスを、直々に伝授してもらえるものを、子供たちは、青い鳥を求めて外へ出て行こうとしています。身近にあるプロの生きざまが見えていないのは、実に残念でもっだいない話ですが、猫に小判ということでしょうか。
 一度外へ出て力をつけてから、少し周りが見えるようになって、羽を休めたくなった子供たちが家へ戻ってきたときに目にして、元気が出るような言葉を私の遺言として書いておこうと思います。
一、お金をたくさん貯めている人が偉い人ではない。またお金をたくさん使う人が偉い人でもない。多くの人から高く評価される仕事をする人が偉い人です。
二、声の大きい人が偉い人ではない。また黙っている人が偉い人でもない。明日を見つめて体を動かして生きている人、約束を守る人が偉い人です。
三、物事に執着する人が偉い人ではない。また物事に無頓着な人が偉い人でもない。かけがえの無い物を地上に残して行ける人が偉い人です。
 お父さんは死んだ後、地上に眼球の角膜を残しておきたいと思っています。これは自分ではできないので、もし私の心臓が止まって回復しなかったら、代わりに富山医科薬科大学眼科または富山県アイバンクへ「献眼です」と連絡してください。死後六時間以内なら、眼球の角膜を眼に障害のある二人の人に移植することができます。お父さんの眼は、再び生命を得て、二人の人の眼となって地上に生き続けることができます。私の経験では、人は心臓が止まると魂が肉体を離れて上空から自分の様子を見ることになります。眼球は無くてもちゃんと見えますから何も心配しないように。以上、言い残しておきます。  富山市の男性より。

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    子供の将来。   子宝にも恵まれ、子供たちは成人してくれ、なんとか仕事も継いでくれている。献眼した父も何処かで見ていてくれる筈だ。
 私は、「信頼と和」をモットーとして六十年、信頼しあって楽しく、満足できる生活で還暦を迎えた今、一服してもいいのかもしれぬ。しかし、働ける間は死など考えたくないのは未練というものか。ならば、一度遺言を書けという。書けば新たな方針も立つし、遺言はいくらでも書き換えればいいと。
 気楽な気持ちで書き始めると、「信頼と和」を教え込んできた筈の子供たちが、いつまでも仲良くやってくれるかが一番気にかかる。献眼してでも、この目でいつまでも子供の将来を見守ってやるのが献眼した父への親孝行かもしれぬ。光を求めている人の役にたつのであれば、なお、一石二鳥というものか。その目で世の中を美しく見てくれれば満足だ。  黒部市の男性より。

    なになにが見たい。   東京都のりなちゃんの詩のポスターが、私のいる事務所の目の前の壁に掲示してありますので、仕事を始めるとき、疲れて手を休めるとき、赤いりんごの絵や詩が私の目に映るのです。子供の絵や詩には素直さと新鮮さを感ずるものですが、これには心をゆり動かす何かがあります。単に同情をよぼうとするのではなく、光を取り戻したいをいう懸命の訴えが、願いがこもっているからだと思うのです。
 目については、今までなんら不自由を感じていません。できることならおあげしたいという思いにかられている、このごろです。  砺波市の男性より。  注釈 文中のポスターとは、平成8年度アイバンク普及啓発ポスターです。富山県アイバンクだより第4号の表紙にもなっています。

    家族への遺言。   目は心の窓と言いますように、眼球は視覚情報処理機構を備えた感覚器です。精神的に不安な毎日を送っている視力障害者は、全国で三十五万人いるといわれています。その内角膜が混濁した為に視力障害を起こした約16000人は、透明な角膜を移植手術することにうよって視力が回復されるといいます。
 現在、角膜移植手術待機者は、4300人も登録されております。視力障害で日常生活や社会生活に支障をきたして、常に失明に対する不安や恐怖心を抱いて生活している人々が、一日も早く再び光を取り戻されるよう願う一人であります。
 身体障害者救済事業の一環として富山県アイバンクは、「盲人にアイの光を」と献眼登録運動を展開しており、私も高岡ライオンズのメンバーの方々と共に登録を済ませました。どうか、私の死後六時間以内に、富山医科薬科大学附属病院眼科に電話され、角膜を提供して下さい。角膜を損傷して目が見えない人に移植され愛の光を与えてあげてもらいたいのです。よろしくお願いします。平成9年2月吉日、父より。  高岡市の男性より。

    心を残す。   人生の折り返しも過ぎたこの頃、ふと気のつくことがある。あたりまえのこととして、朝、顔を洗う。よく見る鏡の中の顔だが、だいぶん老けこんでいることに改めて気付く。事の良し悪しは別にして、状況又は状態の判断は、目の機能が殆どを占めるという。自分だけの人生で、我欲だけが先走り、他人の為に何かしたか、自問自答する時、老けた顔に満足は見えなかった。
 人生、生きているうちに役に立つことは勿論だが、加えて死んでも役に立つことといえば物を残すことではなく、心を残す事に思い到る。求める人がいる時にこそ、その人が得る光は至上のものとなるだろう。献眼は物ではなく心である。謹んで献眼する。  砺波市の男性より。

    私の遺言状。   平成に入ってからしばらくして、いままで見えて居た右目がうすぼんやりと見えにくくなり、家の回りの緑の葉っぱに手を伸ばして見ると触る事ができないのです。「はてな」と思い病院へ行き、いつも当たり前に見えていた自分の目が白内障とわかり、目の不自由さを実感し手術を受けました。眼帯を取り、少しずつぼんやりとした物が見えてきて、「パッ」と明るくなった時、頭の中からモヤモヤがスーと消えました。
 献眼登録をしておりますが、その時は漠然とした気持ちでおりましたが、今は献眼登録して良かった、一人でも多くの人に美しい立山が見えるようにと願っております。  富山市の男性より。  注釈 2009年、ご逝去にともない、ご献眼いただきました。

    左ポケット。    私になにかあったら、背広の左ポケットを見てほしい。山王さんの福豆と顆粒のビタミン剤と臓器提供の意思表示カードが入っているから。かなり前に献眼は勿論、献腎も登録を済ませてしまった。
 2年前、50回献血の記念品を日赤からいただいた。自分がこの世にあって、人に尽くせる機会はめったにない。せめて確実に、他人のためになる献眼、献腎、献血は私にとっては容易なことだ。かつて献眼を受け再び光を取り戻された方の話を聞いたことがある。その話し振りは、献眼された方々への感謝の気持ちで満ちていた。
 いずれも無償の行為であり、しかも私は見ることはできぬが、死後の角膜を提供するというこの程度のことで、心から喜んでくれる人がいることを思えば、こんなにすばらしい報酬はない。  富山市の男性より

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