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富山大学医学部眼科学講座開講30周年記念講演会 一般講演

  • 開催日:2009年4月12日
  • 開催場所:名鉄トヤマホテル
  • 演題  富山県アイバンクの歴史と現状
    演者  入江真理(富山県アイバンク)
富山大学医学部眼科学講座開講30周年記念誌の写真

発表スライド




[富山県内の角膜移植]1958年「角膜の移植に関する法律」制定され、日本において死体からの角膜を使用しての移植が可能となった。富山県内においては、1963年「眼の愛護デー」を記念して富山県善意銀行内に眼球預託口座が設けられた。
1964年、県内最初の角膜移植が日赤富山病院の島眼科医により施行、移植を受けた方は舟橋村の女性だった。この時の角膜提供者は、富山県医師会長在職中に亡くなられた清河吉平先生だった。その後、北日本放送により角膜移植機器が寄贈され、富山赤十字病院・県立中央病院・富山市民病院において角膜移植が施行されました。
1979年「角膜及び腎臓の移植に関する法律」が制定され、同年、富山大学附属病院が設置され、大学病院においても角膜移植を行うこととなった。


[富山県アイバンクの歴史]1991年3月27日、富山県・富山医科薬科大学(現富山大学)・ライオンズクラブにより財団法人富山県アイバンクが設立された。翌年6月には厚生省(現厚生労働省)より眼球あっせん業許可を受け、アイバンク事業を開始した。1979年には厚生労働省よりドナーの採血実施を義務付けられ、提供時にはドナーからの採血を実施して感染症の有無を確認した上で移植することとなった。また、提供眼の保存方法が全眼球保存から強角膜片保存に変更され、保存期間が約1週間に延びた。従来の角膜移植は、提供後48時間以内に移植手術を施行せねばならず、眼科医・レシピエントともにタイトな時間での手術であり、精神的な負担も大きかったと思われる。しかし強角膜片保存の導入によって移植手術は予定オペとなり、眼科医・レシピエントの精神的負担は軽減されたと思われる。この年からコーディネーターが摘出時のサポートや提供時のコーディネート・ドナーファミリーのサポートを行うようになっている。
1998年にはライオンズクラブの助成を頂き、ドナーの角膜内皮測定を行うスペキュラーマイクロスコープ・強角膜片保存作業を行うクリーンベンチ・摘出器具を滅菌するオートクレープ・ガス滅菌機等を設置した。2007年には遠心分離機を設置し、ドナー採血の血清分離が事務局で可能となった。このころより、眼球摘出後にエンゼルメイクを施行している。2008年、ハンドスリットを設置し、摘出の際必要時にドナー角膜の一時評価を行うようになった。また、ライオンズクラブの助成を頂き、角膜内皮移植機器を富山大学附属病院へ設置し、最新の角膜移植術が県内で受けることができるようになった。

[角膜内皮移植機器について]角膜内皮移植(DSAEK)は角膜内皮を移植し、縫合を行わない手術である。縫合に伴う不正乱視が発生せず、縫合糸に伴う拒絶反応も起こりにくく、特に水疱性角膜症の症例に有用な手術であるといわれている。この機器は富山大学附属病院のオペ室に設置してある。
[献眼登録者・献眼者・移植者の実績] 富山県アイバンク設立以来、献眼登録者は19,192名となり、献眼者数は222名、移植者数は340名となった。また、昨年は年間献眼者数20名と設立以来の最高数となった。ドナーの提供年齢も全国で最高の107歳の方からの角膜提供をうけ、今年2月に大阪で行われた学会にて発表した。


[まとめ]富山県では、昭和38年より富山県善意銀行を通じて献眼登録活動が行われており、アイバンク設立以前より現在まで公的病院の眼科医により角膜移植が施行され、多くの角膜疾患の患者が視力回復された。平成3年に富山県アイバンクが設立し、富山県善意銀行から献眼登録事業を引き継ぎ、厚生労働省の眼球あっせん業の許可を得て、アイバンク事業を行ってきた。 アイバンク設立以来の登録者数は累計で19,192人、献眼者は222人、移植者は340人となった。

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