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献眼提供者遺族としての感謝 献眼提供者遺族としての感謝 およそ病気など寄せつけない元気で大きな身体、そして何ごとにも心配りが届き、町議、社長、そしていろいろな役職をこなしていた夫が突然病魔におそわれました。主治医より少し身体を休めなさいと言われた8月25日に入院してから約3ヵ月、11月16日に看護の甲斐もなく僅か61歳の若さでこの世を去りました。余りにも急なので、私も子供たちも唯おろおろするだけで誰が何を言っても耳に入らなかった時、主人の弟が「姐さん、兄貴はアイバンクに登録していたがどうする?」とまだ病院にいる時に言われました。私は登録をしていたことを思い出し、「そう言えばそうだったね、手続きなど分からないのでお願いします。」と弟に頼みました。心が動揺していましたので弟が言って下さらなければ気がつかなかったと思います。そしてその後、富山県アイバンクから「三百字の遺言」に主人の文章が出ている事を弟から知らされました。驚いて早速読んでみると、「生き続ける2つの眼」という題でした。そこにはたった三百の文字でしたが、「自分が8歳の時に父親が戦死した」こと、「戦後大変苦しい生活が続いた」こと、「そのお返しにせめてこの眼を役立ててほしい」、さらに「妻、子供達に自分の人生の最後の献眼を財産遺言にすることを望みます」と結んでありました。私は主人の遺言どおり献眼させていただくことが出来、私は妻としての役割を果たせたことを喜んでおります。葬儀には、富山アイバンク井村理事長さんより心のこもった弔辞を読んでいただきました。そして49日の法要を済ませた頃、富山アイバンクより一通の手紙をいただきました。それには「主人の眼がある青年に提供され、喜びの気持ちが書いてあり感謝されています」との封書が届き、私はポッカリあいた心の中に温かいものが拡がりました。<主人の眼よ、末永く活躍してください>と祈らずにはおられません。 献眼者遺族の手記 4月19日、当日も朝から春たけなわの日和で父は日課となっている犬の散歩を終え、いつも通り仏壇、弁天堂の参拝と、朝食も普段通りすませて指定席で朝のテレビドラマを見てだんらんしておりましたが、突然身体の不調を訴え、救急車で病院に運ばれました。病院での必死の組成治療の甲斐もなく急性心不全で帰らぬ人となりました。その間わずか1時間足らずの出来事で、母はもちろん私たち家族は、何が何やら分からぬまま悲しむ間もなく、仏となった父と共に、親戚、近所の方々に迎えられて仏間へ入り、寺方の手配、葬儀関係を皆さんに任せて呆然としておりました。その時、ふと、十数年前家族全員で献眼登録したことを思い出し、悲しむ母に、どう納得させれば良いか考えました。当時、アイバンクに登録する際に「大事な親から授かった体の一部を取るなんて」と、母が反対した事を思い出し迷いましたが、嫁いでいる妹の夫も同じライオンズクラブ会員であり、同時に共に献眼登録者でもあり「ばあちゃん、今、爺ちゃんの目(角膜)をあげることにより、目の不自由な方の役に立てば良いがでないがけ」との言葉に納得してくれました。その時既に二時間以上も経過しており、クラブの四献委員長に相談し、委員長の敏速・適切な連絡によりアイバンク事務局長より、「時間的に十分余裕があります。1時間後に摘出手術に来ます。」との連絡を受けました。検査の結果、幸いにも異色に必要とされる角膜細胞も、両眼とも基準以上ありましたので検眼することができました。葬儀当日も、地区ガバナーの村上明ライオンより感謝状を、また、富山県アイバンク理事長井村東司三様よりご丁重なる弔辞をいただき感激いたしました。 ここで、弔辞の一部を紹介させて頂きます『献眼は人生最後の奉仕であり最高のお布施であると信じます。棺に納める前に身体の一部でも損傷することに抵抗を感じる方も居られましょうが、けれども全部灰にするか、一部でも生き続けられる途を選ぶか?この一部が献眼、すなわち角膜移植であります。』 今、49日法要も勤めさせていただき、日常生活にもようやく落ち着きを取り戻しました。こうしている今もどこか父の瞳が生きてお役に立っていることを想うと母をはじめ残された家族はしみじみ献眼をさせていただき本当に良かったと思っております。最後になりますが、ライオンズ関係ならびに多数の方々に深く御礼を申し上げます。 献眼者遺族としての感謝 亡き母の49日の法要も無事済ませ日ごとに母のことが遠くなりがちな今日、富山県アイバンクから一通の封書が届いた。開封してみると母の角膜提供を受けた青年から感謝の手紙が同封されていた。その手紙はたどたどしいながらも便箋三枚にぎっしりと目を悪くしてから術後の今日までの気持ちを書いてあった。その手紙には、中学生の頃からだんだん目が悪くなり、高校生になると生活にも不自由を感じ勉強もつらくなり、友達も遠ざかり、そしてついに高校も中退してしまい失望した毎日であった。ある日、テレビで小学二年生が角膜移植で目が見えるようになり、いろんな事が出来るようになったという話を聞いた。そこで自分もそのようになりたいと病院に相談をしたら、今の日本では角膜の提供者が少なく、又それを待っている患者さんがたくさんおり手術はいつになるかわからないと聞かされた。ところがこのたび、自分が本当に運良く角膜移植手術を受けることが出来、術後の経過もよく視力も0.5まで回復することが出来た。「現在は心も前向きの気持ちになってきており、車の免許も取りたい、社会に出て働きたいという意欲が出てきて希望に胸がふくらんできている」、そしてまた「角膜を下さった方のやさしさ思いやりに感謝でいっぱいです」さらに「治していただいた目を大事にして二人して生きさせてもらっているのだと心して頑張り、今度は僕が人の為に役立っていきたいと思っています」そして末尾に、「この経験を通して一人では生きていけなく、お互いに助け合い人を思いやる心が大事だなを思いました。いただいた方への恩に報いるためにも幸せな境遇を確立して行きます。」と、記されていた。 私はこの手紙を読んでいるうちに涙があふれ、母があの世に行ってもこうした徳をつまれていることにあらためて驚き、そして顔も名前も知らない一青年が、このことに 感謝しながら生きているという事実に深い感動を覚えられずにいられない。 |